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IBL西田辰巳氏によるクリニックレポート -4-

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【IBL西田辰巳氏によるクリニックレポート -4-】

 

「最初は熊本の阿蘇山にちなんでVolcanoes(火山)という名前をあげたのです
が、残念ながら、先にその名前を使ったチームがIBLにあったので断念。その
後、仲間と話し合った結果、3つの理由でTornadoesに決定しました。

1、「バスケットの勝ち負けは置いといて、日本人チームがアメリカ国内から
世界のバスケット界を席巻していこう」という事。

2、MLBでの野茂選手の活躍は多くの日本人に勇気を与えてくれました。なので
彼のニックネームにちなんで。

3、そしてJapanではなくNipponにしたのは日本を背負って頑張りたいから」

(A-TORNADOES通信より NIPPON TORNADOESの名前の由来を聞かれて
 http://dream7-japan.com/blog/a-tornadoes/

 


埼玉県ふじみ野市でクリニックが行われた翌日の夜、bjりーぐ横浜ビーコルセアーズ
の広報も務めるアンドウタカオさんの音頭で、新宿駅西口の居酒屋にて、西田辰巳氏の
考える世界基準の環境作り、考え方について話し合う懇親会が開催されました。

現役のbjリーグ監督、A・コーチ、カメラマン、大学バスケとJBLの熱狂的なファン、
来季よりNBLに参加する某チームのスタッフ、今春に渡米を控えた中学三年生のバス
ケットマン、自身の務める会社にてバスケットボール事業部を立ち上げようと奮闘
するビジネスマン、翻訳者、編集者など幅広い層のバスケットマンが集まりました。


西田氏の視点から見た海外の指導方法、海外における日本人選手の評価など多岐に
渡るテーマで多くの言葉が交わされました。この日一番、参加者の心を動かしたの
は、西田氏が海外での環境作りを始めるにあたって「どのように最初の一歩を、ど
の方向に踏み出したのか?」という話題でした。

 

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元々は、西田自身の学生時代の話に遡る。幼少の頃から取り組んでいたバスケット
ボールで日本一になりたいと夢見た少年時代の西田は、全国大会優勝の常連である能代
工業の門を叩き、当時の監加藤監督に直談判を申し出ますが、実力不足で進学を
断念。

「能代工業と名前が似ているから・・」と選んだ熊本工業高校で精進を重ねて
見事に全国大会に出場し、能代工業の加藤監督にも声を掛けられるほどの活躍を
見せます。その後、大学、クラブチームでバスケットに励んだ月日の先に、バス
ケットの無い生活を選ぶ。ビジネスの世界で実力を蓄え、日々の暮らしを充実
させている矢先に、旧友が職場に訪れて、その後の人生を大きく変える一言を
投げかける。


「西田、お前は日本のバスケがこのままで良いと思っているのか?」


その言葉について熟考をした西田は、このままではいけないという結論を
導き出し、日本のバスケットが世界と肩を並べ、牽引する姿を思い描くように
なる。学生時代に憧れた能代工業高校の加藤監督は、当時、高校界の優勝常連
チームであった中央大学付属高校の門戸を叩き、遠く秋田県から東京都まで
遠征試合を通じて「日本一」を体感。その後、長くたゆまぬ研鑽を重ねて日本一まで
駆け上がるエピソードを思い出す。

「ならば、自分は世界最高峰と言われるアメリカのバスケットを学び、いずれ
追い抜こう」

そう考えた西田は、アメリカプロバスケットボールリーグであるNBAの事務局に
日本からコンタクトを取り、NBA選手のOB会事務局との接点を持つまでに辿り着く。


(続く)

 

 

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