BONESCUP インタビュー 相澤賢太郎選手

【BONESCUP 相澤賢太郎選手インタビュー】


BONESCUPにてベストゲームに選出されたUltimate Styleより、代表の
相澤賢太郎選手にインタビューを実施しました。大会主催者による
ゲームレポート共に、是非、ご覧ください。

 

 

<大会主催者によるベストゲームレポート>

ベストゲーム
男子二回戦
筑波大学 vs Ultimate Style


オールジャパン関東予選優勝の経験を持つ筑波大学のBチーム。
現在の大学バスケ界でも特に脂の乗ったイケイケの筑波大学、DFはもちろん
オールコートマンツー。

対するは千葉からの刺客、シニア(35歳以上のみ)で全国制覇を目指す新規
参入チーム、Ultimate Style。

年齢差、なんと15~20歳。
それをカバーするサイズの差も無く、中年男性が真夏に6人で現役学生に挑む形
になりました。

圧倒的な運動量の差は明らかで結果は見えていましたが、試合は誰も想像しな
かった展開へ。なんと、Ultimate Styleが筑波の速い展開に真っ向勝負。

筑波はガムシャラに、USは疲れないように(表現が難しい)、双方一歩も引か
ず走りまくる。一進一退の攻防が続き、終始シーソーゲーム。

そして4ピリ、残り10秒で筑波が渾身のランシューで3点差に。
やはり最後は若さかと会場が諦めた刹那、オジサン5人が走る、走る、走る。
残り5秒3点差、オジサン軍団、まさかまさかの維持のカウンターパンチ。
キャプテン相澤が3Pバスカンのスーパービッグショット。
会場大歓声で鳥肌全快お祭り騒ぎの中、フリースローは神のイタズラでゴール
に嫌われる。が、筑波はここで延長にさせませんでした。
リバウンドからエース9番へ。
超速ドリブルから残り1秒でファウルを受け、フリースローで勝負あり。

終始点差が離れず緊迫した試合展開の中、最後に押し切った筑波は流石名門と
いった印象でした。
何よりも、シニアのチームがここまで戦ったことに、ただただ感動。
試合後、笑顔でハンドシェイクを交わす両チームに尊敬の念すら浮かびました。

年齢、カテゴリ、全ての枠を超えたボーンズならではの最高のゲームに観客も
歓声と拍手を贈りました。

 


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相澤賢太郎選手へのインタビュー


大会事務局が選ぶベストゲームに選出されたUltimate Styleより代表の相澤賢太
郎さんにお話を伺いました。相澤選手は、日本リーグ、また、千葉県、埼玉県の
クラブチームで活躍し、関東大会などにも出場。


一般的にはベテランと言われる40才を迎える今も、ストイックなトレーニングを
続け、他を圧倒するパフォーマンスを披露。妥協を許さないストイックな練習の
日々を積み重ねる過程で身に付けたと思われる、思慮深い考え方や発言、そして
バスケットへの真摯な姿勢は多くのアマチュアバスケットマンに刺激を与えてい
る。


また、後半部分では、半ば強引に、学生時代や実業団時代のお話もお伺いしました。
クラブチームの世界には、豊富な経験を持った選手が、バスケットボール競技に
取り組んでいます。全国各地、高い志と、情熱を携えたスーパースターがいるはず
です。バスケットの試合を通じ、経験や、それぞれの歩んできた道が交錯し、熱き
戦いが次世代へと脈々と受け継がれていくことを祈ってやみません。

 


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筑波大学 48-46 Ultimate Style
(7×4の変則ゲーム)

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Ultimate StyleのTシャツを着用しての集合写真(弊社にて製作) 

 

大会のベストゲームに選出された試合について


◇非常に運動量の多い筑波大学Bチームとの試合では、劣勢が予想され
ましたが、チームのメンバーの方はどのような雰囲気でしたか?


今回は新しく発足したUltimate Styleで出ようとしていましたが、中心メン
バー(篠崎選手)の転勤の影響もあり、いつも一緒に練習してる松戸市民大
会に出てるBlack Styleで出場しました。

正直言うと、筑波大学に関しては負けたくなかったんです。

初出場ということもあり、注目されていなかったので見返したかったです。

絶対勝とうって雰囲気じゃなくて、恥ずかしくない試合しようとかみたいな雰
囲気でした。なので、自身はスタメンでは出なかったけど筑波戦のスタメンに
送り出したメンバーには、「負けてもいい試合なんてないからな」と言葉を掛
けました。

そのハッパが効いたのか、出だしからうちがリードする展開が作れたんじゃない
かなって思ってます。

 


◇ご自身、アキレス腱の痛みの影響もあって本調子ではない中で7分×4ピリオド
の変則的な試合の中、3P8本を含み、30点以上の得点を挙げました。試合の展開
についてはいかがでしたか?

 

正直、ガードがいないチームだったからオールコートプレス運べるかが不安
でした。43歳の山田さん(柏リーブスを立ち上げた人)と40歳の細井(数年前
まで鎌ヶ谷クラブで活躍)、31歳の三木がうまくボール運んでくれたから、オレは
打つだけで良かった。

しかも、怪我しててカットイン出来ないからオレは動けるのか不安もありました。
ですが、何とかシュート入ってくれて良かったです。

 

 

 

Ultimate Style 及び、継続して鍛錬を続ける原動力について

 

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◇それが終盤の極限状態でのビッグプレイに繋がりました。この試合、クラブチーム
の選手として、様々な「言い訳材料」が多くあったと推察します。怪我をしている、
暑い、大学生チームは人数が非常に多い、物理的な練習量や、練習に割ける時間の
絶対量が違う・・などなど。その中で、ネガティブな要因に負けないための工夫や
心の持ち方はどのように考えていますでしょうか?


言い訳の引き出しはオレにはありません。

怪我をしたのも日頃のケアを怠ったのかもしれないし、逆に練習しすぎたのかもしれ
ない。それに、いつも第一線でと考えています。ベテランなりに引き際も必要ですが、
そもそも私を慕ってきてくれている人間がたくさんいるからこそのモチベーションだ
と思ってます。

よく、相澤さんはすごい。人柄にみんな集まるんですねってよく言われます。
でも、違うんです。私の周りの人間がいいヤツ多いんです。
だから支えられてます。日頃から感謝を忘れずにいます。

だからオレはいつも強く、下を向いていられない人間なんです。
慕ってきてくれる人がいる限り。例え1人でもね。あとは、アスリートなら誰もが
持っている夢。全国制覇。どんなカテゴリーでもこれをなし得ない限り、やはり、や
められません。

bjリーグ某チーム同世代のHCにも同じこと聞かれた事があります。だからこのモ
チベーションは全国制覇するために維持されています。

ダイキ(転勤をしたチームメイト)に関しては同じチームでやるということに関しては
残念な形になりましたが、仲間は仲間だしまた一緒にやれるし、ダイキ本人にとっても
家族にとっても最良の選択をしたんだから素直に応援したいですね。

 

◇「言い訳の無い精神性」について。全ての要因が自分にあると考えると「辛さ」「しん
どい」「窮屈」というような精神状態になる可能性もあるのかな、、、と思う事が
あります。どのように折り合いをつけていますか?

 

難しいですね。

昔から、言い訳は逃げ道でしかないと思っていたので、あまり深く考えないようにしてました。

その言い訳を出さないような準備や、気持ち、練習などはしっかりやれてきてるという自信を
いつも持つようにして何事にも望んでます。

やはり人間なので落ち込んだり、どうしようもない責任感に追われたりすることもあります。
でもそこは、自分自身が弱気になったりマイナスな発言はかりしていたら周りに悪影響を与えて
しまうと思っているので、そういう不安を周りに与えないようにという責任感からなのかな。

強くいなくちゃいけない自分がいつもいるような気がしてます。それをまた辛いとかしんどいと
か感じたことはないですね。うまい具合に色々な負担を分散してます。

 

◇Ultimate StyleとBlack Styleとで、出場カテゴリーの違う二つのチームがありますが、
どのような思いで活動をされていらっしゃりますでしょうか?今後の展望等について。

 

Ultimate StyleとBlack Styleの違いは市民大会に出るか県に出るかの違い。もちろんみんな
Ultimate Styleでやってもらいたいけど、他のチームでやってるヤツもいるし、それは市民大
会だけで楽しんいます。

更に上を目指したい、挑戦したいという若いヤツらに環境を与えたことになるのかな。
だからこれからも一緒にやりたいって言ってくれるいいヤツを探して増やしたいと思ってます。

 

 

 

 

学生時代のバスケットへの取り組み、実績など

 

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◇学生時代には、どのような経験をバスケットでしましたか?数多くの想い出や経験が
尽きないと思いますので、それぞれの年代での実績などをご教示下さい。


中学時代は県大会でベスト16が最高成績でした。ですが、当時と今はほぼ同じ身長(現在18
6cm、当時183cm)あり、また中学二年生でダンクを出来るようになりました。その為、「ダン
クが出来る中学生」

して多くの人に注目して頂けるようになりました。新人戦、夏、冬の公式戦でアベレージ47得
点を挙げる事も出来ました。


◇中学時代を振り返り、言葉にして総括するとなると、どのような印象をお持ちですか??


当時は運動能力だけのただのヘタクソ。跳べば勝てる。そんな感じでした。楽しむという感じでは
なかったですね。ただのワンマンチームだったので。

 

◇その後、高校に進学されます。高校時代はどのような活躍をされましたでしょうか?


高校時代は1年生からメンバー入り、6~7番手として出場。
ウィンターカップ出場。
高校2年でスタメンになり県優勝、関東3位、インターハイベスト16、国体メンバー選出。
高校3年時は関東圏内では負けナシの、関東新人、関東大会共に優勝し、インターハイでは
第3シードとして出場。インターハイ、国体、ウィンターカップ共にベスト8。
2年連続ダンクコンテストに出場。

またインターハイでは得点ランキング4位、全日本ジュニアの最終選考まで選ばれた。
千葉県少年男子国体選手主将として関東大会優勝、全国5位ですね。

当時は毎月月バスに写真を載せていただいていて、DearBOYSの1ページのインタビューで瑞穂
高校エースの哀川くんと対談しました。

そして私、スラムダンクにキャラクターとして出ているんです。ほんの1コマですが、イン
ターハイハイライトの浦安商業の選手で書いてくれたようなんです。とても嬉しいことですよ
ね。あの国民的大人気漫画に自分がいるんですから(笑)

 

◇その後、名門である法政大学に進学されます。大学での印象的な出来事はありますでしょうか?

大学時代には関東学生リーグ5位が最高成績。1、2年は2部リーグで活動するも、先輩である南山さ
ん※の活躍により1部昇格。3、4年は1部リーグに所属。4年時はスリーポイントランキング4位。
大学の印象は、やはり南山さんとの出会いですね。私も運動能力で生きてきた人間ですが、あの
方、私と比較にならないくらいハンパなかった。
垂直跳び、私が当時90cmだったのですが、確か南さん120cmとかあってヤバかったです。

※南山真選手

湘南工科大高校-法政大学-いすゞ自動車と日本バスケットの名選手。
JBL引退後はUPS、春日野クラブなどでプレイ。驚異的なジャンプ力で
ファンを魅了した。

 

 

大学バスケでの挑戦、そして実業団、クラブチームへ

 

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◇その後、名門である法政大学に進学されます。大学での印象的な出来事は
ありますでしょうか?


大学時代には関東学生リーグ5位が最高成績。1、2年は2部リーグで活動するも、先
輩である南山さんの活躍により1部昇格。3、4年は1部リーグに所属。4年時はスリーポ
イントランキング4位。


◇186センチの身長や、アメフトからも誘いがあったという自慢のフィジカルは、一般的
に、高校と大学でフィジカルが違うと言われる大学界では手応えはいかがでしたか??


誘っていただいた大学は全部で11ありましたが、そのリストの中に早稲田大学ラグビー部
というのがありました。

この身長、当時からニックネーム”東海大浦安のキン肉マン”といわれるほどでしたの
で、ラグビーもアリかなって考えたのも事実です。
当時の早稲田監督が、将来の日本代表を支える存在と言っていたそうです。なのでフィジカ
ルの差は全く感じなく、むしろ私が吹っ飛ばしていたくらいですので(笑)

 

◇その後、実業団に進まれます。主な実績には何がありますか?

実業団時代は全日本実業団選手権で2位が最高成績。
また実業団オールスターではダンクコンテストに出場し、優勝できました。


◇仕事とバスケット競技との両立で心掛けた事、この時の諸先輩方から学んだ事があれば
教示下さい。

私の場合、今思い返しても誰かに影響を受けて何かを始めたとか、何かを細かく教わったと
いう記憶があまりないんです。ただ深く考え込まないようにしています。
何事も「Take it easy」と考えるようにしています。


◇その後、ターニングポイントの一つでもあるアキレス腱の怪我に遭われます。選手生命
左右する怪我の経緯や、その際の心境について。


現在の某bjリーグに移籍の話がまとまるも六実レイダースに助っ人を頼まれ参加した
際にアキレス腱を断裂。実業団連盟での現役引退を余儀なくされました。


この時期、以前よりも、身体の自由やパフォーマンスに制限が生じてしまったであろう
中、どのようにモチベーションを保ち、何を目標に、どのような日々を過ごした事が、
試合に出場し、活躍しつづける原動力になりましたか?


いつもこの話をすると超人だと言われますが、アキレス腱を切ったのが4月10日。オペなしで
自然治癒。5月25日にギブスが外れ、6月にはランニングを開始し、7月末の大会にはもう出て
いました。

あの当時はもう六実レイダースに入ることになっていて、とにかく日本リーグあがりの人がた
くさんいただけの強いチーム。

若手が荷物運びでしか使われない。飲み会でもお手伝いや配膳、片付け係。そんなのが面白く
なくて、私が入った2年目にキャプテンに命じられ、キャプテンを受ける条件としてその方々
に全て辞めていただいたんです。

若手が伸び伸びやってもらいたいのと、若手の可能性に賭けてそうしました。その甲斐があ
り、キャプテン就任初年度に関東大会出場。初戦で当時かなり強かったガリバー※2に6点差で
負けましたが。

※ガリバークラブ 埼玉県クラブ連盟登録のチーム。全国大会優勝実績も誇る。


◇六実レイダース時代には主将として2年連続A関東大会出場に導くご活躍、それに併せ、5年
連続千葉県国体選手として活動された後、実業団時代の仲間で結成された川口クラブへと
移籍されます。活動の拠点は埼玉県クラブ連盟へ。常に4強に食い込むチームの主力
として活躍されます。また、同時期に発足した埼玉県の私設トップリーグであるEIGHT LEAGUE
では初代選手会長を務められました。競技の結果は、決勝戦でブザービーターで惜しくも準優勝。
MVP級の活躍を見せ、大会の盛り上げに大きく貢献されました。


幸い、昔の活躍等で私の名前を知っていてくださる方々がたくさんいます。プレーはもちろん、立
居振る舞い、私生活、全てにおいてしっかりしていないといけないと思ってます。私はよく分かりま
せんが、オーラや人間性、カリスマ性、そして最近ではレジェンドなんてよく言われます。

そんな私の行動や言動を見て、若い方々が何かしらを感じ、何かしらを後輩たちに伝えてくれればい
いなと思っています。千葉でもそうですが、埼玉でも一度試合した対戦相手とはもうどこで会っても
会話するようになっています。

川口クラブは基本的に他のチームとの交流を避ける傾向にあったので、私はその態勢に合わず常にフ
レンドリーに接していましたね。なので他のチームのたくさんの方々とすぐ友達になりましたよ。

 

◇相澤さんの存在に影響を受けた社会人バスケットボール選手も多いように思います。生まれた土地
でも、育った土地でもない埼玉県の印象はいかがでしたか。

また、その後、再び千葉県へ活動拠点を移されてからは、私設交流大会「三ヶ島農園カップ※3」
などでも千葉県のチームと埼玉県のチームとの試合について、開催にご尽力されました。


当時は埼玉の個々のレベルが高いことに驚き、そしていいヤツらが多いと思っていました。
なので千葉ー埼玉の交流って言ったら、私が一役買えばイチコロですよね(笑)

※3 埼玉県クラブ連盟に登録するチームと、千葉県クラブ連盟に登録するチームとで開催された
交流試合。中川クラブ、宮城クラブ、BRUINS、初雁クラブ。千葉県からは、HEARTS、A.B.L.、六実
レイダース、HIGH-LOWSが参戦した。

 

今後の活動の基本的な方針については、自身は、千葉県クラブ連盟での上位進出。そしてシニア連盟
に登録している千葉GOLDFIVEでの全国大会優勝を目標に取り組んでいきます。

また、繰り返しになりますが、自分のこれまでの経験を生かして、更に上を目指したい、挑戦したい
という若いヤツらに環境を与えていきたいです。

一緒にやりたいって言ってくれるいいヤツを探して増やしたいと思ってます。

 


◇ありがとうございます!これからも真摯に競技に打ち込む相澤さんのご活躍をお祈りしております!

また、Ultimate Styleではゲームユニフォームを弊社にて製作しています。相澤さんのご活躍、チームの
皆様のプレイ同様に、是非、ご注目下さい! 

 

 

※写真については、SHOWA(埼玉県クラブ連盟所属/弊社にて製作 )在籍時。

 


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相澤賢太郎(アイザワ ケンタロウ) 1973年5月22日生まれ 186センチ/100キロ
東京都足立区出身。

八千代台西中~東海大学浦安高校~法政大学~大日本印刷イーグルス(日本リーグ)
~六実レイダース(千葉県クラブ連盟)~
川口クラブ(埼玉県クラブ連盟)~
HEARTS(千葉県クラブ連盟)~
SHOWA(埼玉県クラブ連盟)
~Ultimate Style(千葉県クラブ連盟)

千葉県クラブ連盟所属のUltimate Styleを今年立ち上げ、また同時に千葉GOLDFIVEとい
うシニア連盟に所属。

190センチ近い身長、100キロ超で圧倒的なパワーを誇りつつ、俊敏性のある動きで
カットイン、3P、そして相手キーマンのディフェンスにと躍動する。

現在は、千葉県クラブ連盟所属のUltimate Styleを設立。と同時に千葉県シニア連盟
所属の千葉GOLDFIVEにも属し大会にも参加し、シニア大会での日本一、及び、千葉県連
盟内での上位入賞、関東大会出場を目標に競技に打ち込んでいる。

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