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2012年12月

バスケットボールの誕生日

【バスケットボールの誕生日】

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(写真提供:12月21日はバスケットボールの日!委員会)

 

2011年より開催されている『12月21日はバスケットボールの日!委員会主催
Basketball Birthday Classic 代々木第二体育館(12月19日 10時~20時)』
に弊社UPSETも協力企業として参加させて頂きました。弊社の看板商品でもある
「昇華プリント」を駆使してスタッフ用のポロシャツを制作しました。
 


バスケットボールの史実によると、アメリカ・マサチューセッツ州スプリング
フィールドYMCAの体育教官でもあったジェイムス・ネイスミス博士が、「冬の
寒い時期、室内で学生がチームスポーツを楽しめるよう。そして、走る、投げ
る、跳ぶという基本動作の全てを織り込んだ高度な競技を開発したい」という
想いを抱き、苦心に苦心を重ねた結果、1891年12月21日、この世に生を受けた
スポーツであるようです。


その後、1932年国際バスケットボール連盟(FIBA)の発足、1936年ベルリン・オ
リンピックでの正式種目採用の正式採用、現在、FIBA加盟国213か国を誇るまで
成長が、ネイスミス博士が築き上げたルールの基盤の優位性と、これまでに競技
に携わった方々が注いだ情熱の高さを物語っています。

 

その後、バスケット誕生から120年後の昨年、「日本バスケットボールの聖地でも
ある代々木第二体育館で、来場者の誰もがプレイすることが出来、かつ、バスケ
愛好家が集う日にしたい」という経緯で本イベントが始まりました。

競技の創設者であるネイスミス博士が学生に対して価値のある競技を考えて生ま
れた後、今度は、競技者の喜びを考えて築き上げられてきたイベントに、今回の
ような形で関われ、また、イベントの大成功を生の現場で見届ける事が出来、と
ても光栄でした。


「冬の間、学生が高次元のチームスポーツで楽しめるように」
「聖地・代々木第二体育館で誰もがプレイできる環境を」

という二つの根源的な発想とたゆまぬ行動、準備が可能にした
素晴らしい光景が眼前に広がる時間を体感しました。

 

shape your imagination そのイマジネーションを形に・・・

自分のイマジネーションをウェアに反映させる。かつ、一般の愛好家でも購入可
能な価格帯で、高品質のフルオーダーバスケットボール、及びスポーツウェア
(football 及びスポーツ全般)を提供する。頭の中にある『イマジネーション』
を着用する。

 

上記は弊社の事業やサービスの根源にもなっている理念です。今イベントは、日
頃、念頭に入れている理念を再認識する機会ともなりました。UPSETをご利用頂
いているお客様に、質の高いサービスを提供できるように取り組んでまいります。

 

最後になりましたが、12月21日はバスケットボールの日!準備委員会の皆様、
Basketball Birthday Classic参加者の皆様、全国から賛同写真を投稿された皆
様、関心を寄せて頂いていた方々に御礼申し上げます。


http://bb1221.com/
http://www.facebook.com/bb1221

 

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ライジング福岡 石谷聡

 

【shape your imagination】

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石谷聡/ライジング福岡

 

bjリーグ西地区で4位と上位に位置するライジング福岡(12月11日現在)。

リーグ初年度のドラフト一位指名選手である仲西淳選手や高校・大学バ
スケット界で日本バスケ界を賑わせた竹野明倫選手の存在が有名である
が、地元の福岡県田川郡福智山町である#24石谷聡選手の活躍に注目が
集まっている。


177㎝・73㎏と小柄な身体ながら、大柄な外国人選手が揃うbjリーグの
中でも16試合を終えて約19分の平均出場時間を獲得。果敢にゴールに攻
め込んで平均得点5得点2アシストと、安定したスタッツを残しチームに
勢いと勝利をもたらしている選手である。


そんな石谷選手も、華やかなドラフト会議を経てライジング福岡に入団
した選手ではなく、当初は練習生として、ドラフト外で契約をした選手
であった。練習生契約からプロ契約へ。そして、12月1日の大阪エヴェッサ
戦からはスターティングメンバーとしても出場する機会も増えてきた石谷
選手の活動の軌跡を追った。


・・・・・・


◇バスケットとの出会い

福岡県のほぼ中央部に位置する田川郡方城町町(現福智町)で生まれ
育った石谷は、両親がバスケットをしている中で幼少期を過ごす。そし
て父親がコーチを務めるミニバスケットボールチームでバスケットボール
を始める。姉もバスケットボールをやっていた影響も大きいという。当
時、日本ではプロバスケットボールリーグが存在しない時代だ。日本か
ら海を超えて開催されているNBAの放送を観戦しながら過ごす日々が続く。

また、プロ野球の人気球団、福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホーク
ス)の試合観戦などを通じてプロスポーツの世界の魅力や凄さを体感。自分
が愛し、取り組む競技とは種目こそ違えども、自分自身の夢としてプロのバ
スケットボール選手になる事を夢見るようになる。

 

◇中学、高校への進学

方城中学校に進学後、福岡県の強豪である中村三陽高校に進学をした福岡大学
付属大濠高校、福岡第一高校などの強豪高校がひしめく中、石谷は高校二年生
時に主力メンバーの一人としてIH初出場を果たす。結果は一回戦で茨城県代表
の霞ヶ浦高校に敗戦となるが、IH出場を決めるなどに味わった怪我の苦悩や、
周囲のサポートを経て、戦列に復帰。IH初出場という偉業を成し遂げるまでの
経験が石谷をさらにプロという存在という高みを目指す契機となる。


「インターハイ出場が決まった瞬間は本当に嬉しい一心でした。インターハイ
予選前は練習中や試合中に何度も怪我をしてしまい気持ちが落ち込んでしまい
ました。

そんな時にチームメイト、そして家族に支えて貰い、辛い時期を乗り越えイン
ターハイの切符を勝ち取ることが出来たのだと思います。

周囲に支えられた時期が長かったので、自分も夢や希望を与えられるプロとい
う存在になれることを夢見ていました。」

 

◇地元である福岡大学への進学

地元である福岡大学へ進学をした石谷は、さらに練習に励むようになる。石谷
を良く知る福岡大学の後輩である河本選手(福岡大学→曙ブレーキ工業/2012全
日本実業団選手権準優勝、2013天皇杯出場決定)によると

「バスケになると厳しくあつくなる場面もあり、負けず嫌いの性格があのジャス
ティスさを生み出しているのだと思います。トレーニングに関しても、全体練習
後現ライジング福岡のトレーナーの方が経営しているアスリート専用ジムにて身
体造りをしていました。また、シューティングの量も格段に他の選手より多く、
模範になる選手とはこの人の事を言うんだなと当時から感じていました。」とい
う。
 
屈強な外国人選手が数多くいるbjリーグでも果敢にゴールに向かうプレイで評価
をされているが「九州のリバウンドランキングにもランクインする程リバウンド
に絡んでいました」(同)という片鱗が学生時代から垣間見える。


チームメイトも認める練習の成果が結実し、九州地区の大学選手権では最優秀選
手賞を獲得する。


 
 
◇練習生、その後、プロ選手としてのキャリアをスタート

九州大学リーグでのMVP、そしてインカレ出場と大学バスケットでのキャリアを終
えた石谷は「バスケが好きな気持ちと、もっと上手くなりたいという気持ちが絶え
ず有った。他のプレーヤーに負けたくない気持ち、そして絶対にプロの舞台で活躍
してやるという決意、その一心」という理由で、子供の頃に憧れたプロの舞台への
挑戦を決める。


 
ドラフトでの指名とチームとの契約を望んだが、そこまでの評価には至らずにドラ
フト外、練習生での契約となる。そこからのプロ契約を勝ち取るまでの心構えとし
て本人は

「どれだけバスケットに情熱をもって取り組むことができるか。そして自分を信じ
きること」

と語るが、当時の石谷の練習風景を見ていた河本によると

「練習生時代の石谷さんの練習量は、すごいものだったと思います。ライジング福
岡のチーム練習の後に福岡大学の練習に参加。その後にウェイトトレーニングをし
ケアを毎日繰り返していた」と一心不乱にバスケットに取り組む姿を同じ大学の後
輩は目にしている。「自分を信じきること」と自身の成功の要因を言い切る姿の裏
側にある実直な取り組みを物語るエピソードである。

 

◇プロの選手として


晴れてプロ契約を結んだあとには、「石谷こそ世の人たちに知ってもらいたい存在で
す。トライアウトから入団し、支配下登録選手に這い上がり、昨年から頭格を表し、今
年はスタートメンバーと遜色がない活躍です。彼こそ、多くのジュニア世代の目指す先
だとも思います。」

と球団関係者も語るほどの活躍を見せる。

幼少の頃に憧れ、大学卒業時に誓った「絶対にプロの舞台で活躍する」という明確で力
強い目標の名のもとにコツコツとトレーニングを積み重ねて、チームの中での役割を増
やしていった。
 

 

◇自身のプレイの見所、ライジング福岡の魅力とは


現在、日本バスケットボール連盟には70万人近い競技者が登録をし、競技登録をしてい
ない愛好家も数多くいる。プロ野球やJリーグ以外の他のプロスポーツ、及び国内トップ
リーグと同様に、競技をしている人間が競技場に足を運びにくい事が指摘されている。


そのような状況を踏まえ、石谷にライジング福岡の魅力を尋ねると
 
「外国人選手や大きいサイズの選手が多い中、自分のような小さいサイズの選手が果敢に
向かっていく姿から、小さいサイズの選手でも活躍できるということを見てもらいたい
し、知ってもらいたい。

チームとしても、外国籍選手たちだけでなく、日本人選手たち、それも決して大きくは
ないサイズの選手たちも活躍する、全員で攻撃し、全員で守る、全員バスケットを試合
会場で体感して欲しい」

 
という回答が返ってくる。1月23日にオールスターを控えているbjリーグ、レギュラーシ
ーズンは、まだ折り返し地点にも達していない。年を追うごと、日を追うごとにチーム内
での活躍の舞台を増やしている石谷の活躍に注目したい。

 

IBL西田辰巳氏によるクリニックレポート-6-

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【西田辰巳氏によるクリニックレポート -6-】

第二回 「BRUINS REDS(2011年 家庭婦人全国優勝)でのクリニック」

 

全国家庭婦人大会でも幾度となく優勝実績を誇るBRUINS REDSさんの練習会場で
ある川口市立武道センターにて関東地区での二回目のクリニックが開催されました。

普段、家庭婦人や埼玉県クラブ連盟(一般女子)のカテゴリーでプレイされている
チームのメンバーの方以外にも、この日に合わせてお仕事のお休みを合わせて下さった
方、埼玉県鴻巣市からチーム単位で参加して下さった方々、仕事の時間調整をして
参加された方、平日に仕事がお休みの男性のコーチなど、総勢で40人近く、バス
ケットを愛する方々にお集まり頂きました。


冒頭、チームの代表を務めます岩谷監督からも「一昨日の日曜日に自分自身もふじみ
野市で開催されたクリニックに参加をして、これからの日本バスケットに必要な考え
方や技術だと感じている。自分たちの競技のみならず、これからも様々な形でバス
ケットに関わる中で、日本と海外のバスケットの狙い所や考え方の違いなどを学ん
でおくことはプラスになる。また、バスケットだけではなくて物事の考え方や進め方
などについても単身で海外でのキャリアを積み上げた西田氏から多くを学び、これか
らの活動に生かすように」と熱のある言葉を語られてクリニックが始まります。


今回の関東地区でのクリニックテーマである「日本人がNBA(アメリカ)に挑戦する
為に必要になる個人スキル。そしてプレイの考え方」という根底の理念は変わらない
ものの、参加者の年代も、性別も違う事から、切り口や伝え方は変えて各種ドリルや、
プレイの狙い所について語られ、そして実際にプレイする中でのクリニックが進んで
いきます。競技歴20年以上とベテランの選手が数多く参加して下さっていましたが、
目新しいドリルの紹介や、ペイントエリアでのシュートフィニッシュを確実に決める
為のプロセスなどの紹介では、新鮮な発見も数多くあったように散見しました。


パイプ椅子を使ってのドリブルドリルでは、最初こそ上手くできないケースも多かった
ですが時間の経過とともに成功者も続出。そして区域と時間を指定しての1対1では、事
前の練習ドリルを駆使して力強いフィニッシュに持ち込むケースが続出。見事なプレイ
を決めた瞬間には体育館に歓声も響きました。


その他にも、お子さんの指導にも応用できそうな実戦形式を織り交ぜたハンドリングド
リルなどを実施。最後には、5対5のスペーシングにおける考え方のドリルなど内容盛り
沢山で開催され、あっという間に3時間近くが経過しました。


今回、参加して下さった家庭婦人の選手の中にはミニバスの指導をされている選手も
いるそうです。また、川口市から60㎞近く離れた鴻巣市からの参加して下さった方々
は、地元でミニバス~社会人までが一堂に集う大会なども開催されているようです。

クリニック終了後も、時間の許す限り、選手から西田氏への質問が続く姿を見て、ク
リニックの価値を再認識したと同時に嬉しさがこみ上げました。

「日本のバスケットを、世界のバスケットの中に据える」「日本のバスケットを世界
基準に」という理念を掲げ、彼の地、アメリカの土地で学ばれた数々の「種」を届け
ていく今回の関東地区でのクリニックですが、やがて大きな「実」を築き、より選択
肢と可能性に満ちたバスケット界の到来を期待できるクリニックとなりました。


参加者の皆様、ありがとうございました。

(続く)

IBL西田辰巳氏によるクリニックレポート -5-

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【IBL西田辰巳氏によるクリニックレポート -5-】

NBAのOB会(National Basketball retired players Association)との
関係作りに成功をした西田は、所属名簿に片っ端にアポを取るべくメールを
送る。その中でリアクションをくれた一人の人間がジョワン・オールドハム
氏であった。正規の講演代金に満たない予算の中でも心意気によって動いて
くれたのか、来日を承諾。西田の地元である熊本県でクリニックを開催した。


その後も、詳しくはここでは割愛するが米国と日本とを繋ぐ活動を継続。
JBA(Japan Basketball Academy)の設立、NIPPON TORNADOESの設立、及び
IBL(International basketball  League)への参戦など、目まぐるしく
バスケットを取り巻く環境を整え、同時に、周囲の人間のこれまでの発想の
枠組みや、狭い視野での思考を壊していく。


USBA(United State Basketball  Academy)やECBA(Emeraed City Basketball
 Academy)との提携なども進み、西田が、自分の元で挑戦をしようと志す
若者に与えられる機会や環境が整われていく。その集大成の一つが、
2011年夏にNBAのシャーロットボブキャッツのトレーニングキャンプに
片岡大晴選手と並里成選手の参加が挙げられる。


そんな西田であるが、バスケットの道で再び歩みを続ける前に、本当に
人類にとってバスケットボールが必要なものであるであるのかを深く
考える時間を取ったという。まずは、バスケットボールの否定から入り、
衣食住には直接的には関わらないという現実を分析し『人間の生活になく
てはならないもの』ではない事を認識。

だが、それでも、長いか短いかは別として、バスケットボールがこの世に
誕生してから百年以上の歳月が確かにあり、人々に取り組まれてきた。

その理由は何故なのか。どこにバスケットボールの価値はあるのかを考え
続けて「バスケットは必要だ。それは人が人として生きていくためのコ
ミュニケーション能力を育成する為。リーダーを育成する為にも必要で
ある」という答えを導き出します。その後について、また、一つ一つの
問題(課題)に対してどのように解決していったのかは、今後も開催される
西田氏のクリニックや講演会で、是非、ご自身の目と耳でお確かめ下さい。

 

バスケットボールという競技が、時間もコートのサイズも、高さも、角
度も、スペースも平等な中で、どんな技を個人で、そしてチームで選択
することがベストなのか、、、詳しくは紙面上では説明しきれない為に
割愛しますが、時間の経過、そしてお酒の進みと共に哲学的な話題にも
及び、参加者のそれぞれが、自身がバスケットやスポーツに関わる上での
哲学や考えについて意見が交わされました。


会の最後には、バスケットを通じての地域活性化を志す一人の青年により
西田氏に名刺と共に企画書の受け渡しも行われました。世代や地域を超えて
それぞれの革新的な想いやアイデアの交換が交わされ、夜は更けていきました。

※写真はUPSET本社所在地でもある埼玉県川口市でのクリニックの一コマ

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

IBL西田辰巳氏によるクリニックレポート -4-

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【IBL西田辰巳氏によるクリニックレポート -4-】

 

「最初は熊本の阿蘇山にちなんでVolcanoes(火山)という名前をあげたのです
が、残念ながら、先にその名前を使ったチームがIBLにあったので断念。その
後、仲間と話し合った結果、3つの理由でTornadoesに決定しました。

1、「バスケットの勝ち負けは置いといて、日本人チームがアメリカ国内から
世界のバスケット界を席巻していこう」という事。

2、MLBでの野茂選手の活躍は多くの日本人に勇気を与えてくれました。なので
彼のニックネームにちなんで。

3、そしてJapanではなくNipponにしたのは日本を背負って頑張りたいから」

(A-TORNADOES通信より NIPPON TORNADOESの名前の由来を聞かれて
 http://dream7-japan.com/blog/a-tornadoes/

 


埼玉県ふじみ野市でクリニックが行われた翌日の夜、bjりーぐ横浜ビーコルセアーズ
の広報も務めるアンドウタカオさんの音頭で、新宿駅西口の居酒屋にて、西田辰巳氏の
考える世界基準の環境作り、考え方について話し合う懇親会が開催されました。

現役のbjリーグ監督、A・コーチ、カメラマン、大学バスケとJBLの熱狂的なファン、
来季よりNBLに参加する某チームのスタッフ、今春に渡米を控えた中学三年生のバス
ケットマン、自身の務める会社にてバスケットボール事業部を立ち上げようと奮闘
するビジネスマン、翻訳者、編集者など幅広い層のバスケットマンが集まりました。


西田氏の視点から見た海外の指導方法、海外における日本人選手の評価など多岐に
渡るテーマで多くの言葉が交わされました。この日一番、参加者の心を動かしたの
は、西田氏が海外での環境作りを始めるにあたって「どのように最初の一歩を、ど
の方向に踏み出したのか?」という話題でした。

 

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元々は、西田自身の学生時代の話に遡る。幼少の頃から取り組んでいたバスケット
ボールで日本一になりたいと夢見た少年時代の西田は、全国大会優勝の常連である能代
工業の門を叩き、当時の監加藤監督に直談判を申し出ますが、実力不足で進学を
断念。

「能代工業と名前が似ているから・・」と選んだ熊本工業高校で精進を重ねて
見事に全国大会に出場し、能代工業の加藤監督にも声を掛けられるほどの活躍を
見せます。その後、大学、クラブチームでバスケットに励んだ月日の先に、バス
ケットの無い生活を選ぶ。ビジネスの世界で実力を蓄え、日々の暮らしを充実
させている矢先に、旧友が職場に訪れて、その後の人生を大きく変える一言を
投げかける。


「西田、お前は日本のバスケがこのままで良いと思っているのか?」


その言葉について熟考をした西田は、このままではいけないという結論を
導き出し、日本のバスケットが世界と肩を並べ、牽引する姿を思い描くように
なる。学生時代に憧れた能代工業高校の加藤監督は、当時、高校界の優勝常連
チームであった中央大学付属高校の門戸を叩き、遠く秋田県から東京都まで
遠征試合を通じて「日本一」を体感。その後、長くたゆまぬ研鑽を重ねて日本一まで
駆け上がるエピソードを思い出す。

「ならば、自分は世界最高峰と言われるアメリカのバスケットを学び、いずれ
追い抜こう」

そう考えた西田は、アメリカプロバスケットボールリーグであるNBAの事務局に
日本からコンタクトを取り、NBA選手のOB会事務局との接点を持つまでに辿り着く。


(続く)

 

 

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